蛭子能収「ひとりぼっちを笑うな」仲間とワイワイするだけが楽しいと思ってない?

こんにちは、ワシです。

 

「何考えてるかわからない」蛭子さんが、「何考えているかわかる」一冊です。

テレビで見る蛭子さんは、いつもへらへらしててマイペースでいきなり失礼なことを言う人。そんな印象だったのですが、この本を読んだらそんな蛭子さんの印象がガラッと変わった!ような気がしますし、想像どおりだったかもしれない。

でもとにかく蛭子さんが日頃、どんなことを考えているのかがわかります。何も考えていないようで、実はいろいろと考えている蛭子さん。

誰もが自由に意見できる世の中が一番

基本的には、他人がどんな態度を示そうとも、どんなことを言おうとも、それはその人の自由であって然るべき。もし変なことを言っている人がいたら、「あれ? あいつはなんだか変なことを言っているなあ」というぐらいの感じで受け止めておけばいいんですよ。人がしゃべることは自由だから、それを止めることは誰にもできない。だから、「それは不謹慎だよ」って言っても仕方ないし、その人はそういう考えなのだなって思っておけば十分です。

不謹慎とか空気を読むとかが当たり前というか、そうしないと誰かに非難されてしまうことが多いですよね。

たしかにその場では言うべきではない発言とかありますけど、それを見つけた途端に鬼の首を取ったように騒ぎ立てることは、なんか変ですよね。

その騒ぎを聞きつけた関係ない人も集まってきて、さらに騒がしくなってしまう事が多い気がします。そういうことを言うにあたった経緯みたいなものを全部端折ってしまい、一部分だけを取り出して「問題発言だ!」と取り上げるのはおかしいと思う。

だったら蛭子さんみたいに「あれ? あいつはなんだか変なことを言っているなあ」くらいに思っていれば、無駄にイライラしてストレスが溜まることも少ないし、もっとのほほんと暮らせるじゃないでしょうか。

威張る奴ほど大したことない

大きい会社に勤めているからって、無闇に威張るというか、あからさまに他人を見下す人っていますよね? その会社自体についてはともかく、人に対して威張るような人自身は、全然大したことない場合が多いような気がしますけどね……。  会社の名前や大きさで人を判断するような人が、それだけ世の中に多いということなのかな。だから、自分が勤めている会社の看板を笠に着て、無闇に威張るような人がいつの時代もいるのでしょうね。

確かに大きい会社で働いてるのは凄いけど、威張るのは違うよね。でも実際、会社の大きさや名前で判断する人はいっぱいいると思う。

人間の魅力というのは、その人が所属している集団から生まれるのではなく、あくまでもその人自身の技量や性格から生まれるもの。その本質だけは、見誤ってはいけないと思います。

んん!これだ!どこかに属していたら凄いけど、一人になったら何にもできないオーラの人います。組織におんぶに抱っこばっかりだからそんなことになってしまうんだな。

蛭子さんこんなことも考えてるんだ。

友だちについて

いまの時代、「友だち」や「仲間」、あるいは「つながり」や「絆」を、必要以上に重く考える傾向があると思います。でも、そうまでして「友だち」って必要なのかなあ。たとえば、「友だちから言われたことは断れない」──これは違う。 「友だちだから断れる」ならわかるけれど、「友だちだから断れない」というのは、僕には理解できません。冷酷な人間なのではなくって、もし、誘いを断れないような存在を「友だち」と呼ぶのなら、僕は「友だち」なんていらないという考えです。

ぼくは友だちって一生友だちだと思うから、平気で遊びの誘いとかも断れる。たまに「友だちの誘いは絶対断れない。もう遊んでくれなくなる」とか言う人いるけど、誘いを一回断っただけで、もう友だちじゃないなら初めから友だちじゃないでしょ。

こいつあほだなーとか、クソ野郎じゃんと思ってもそれでも遊んだりできるのが、友だちだと思う。切っても切れないのが本当の友だちだよ!

辛かったら逃げること

「逃げる」と言うと聞こえは悪いかもしれない。とはいえ、自分のなかで限界がきているようだったら、そのときは迷わず逃げていいと思う。ときには逃げ出すことも必要ですよ。逃げてばっかりはダメだけど、人生のなかで何度かは、別に逃げ出してもいいんじゃないかなあ。僕は自分の経験からそう思っているんです。

最近自分に高すぎるハードルを設定するような人っていますよね、それを超えたら確かに成長はすると思う。でももしそれができなかったとき、誰にも言い出せずに自分の中だけで苦しんでしまい、最終的には自分の命を絶ってしまうとか。

そうなる前に、逃げましょう。逃げていいじゃん。周りに迷惑かかるかもしれないけど、周りに迷惑かけて生きて行くのが人間じゃん。誰にも迷惑かけずに生きてる人なんていないと思うし。はなから迷惑かける気まんまんとかは違うと思うけど、死を選ぶくらいならとことん逃げましょう。それでやいやい言う人がいたら、いつかそいつなんかより幸せになってやればいいのよ。

読んでみて

ぼくは昔から何となく蛭子さんは好きで、ぼんやりしてるというかのんびりしているというか、とにかくそんな雰囲気が好きだった。自分も昔からボケーっとしてることが多かったのでなんとなく「ああ、蛭子さんみたいな雰囲気の大人っていいなあ」と思ってた。

子どものころの大人のイメージって「常に時間に追われてイライラしてる」という印象だったので、余計に蛭子さんに惹かれるものがあったのかもしれない。

この本を読んでみて、蛭子さんもいろいろと思うところがあるんだなと感じたけど、それを表に出さないで、ぼんやりとしている蛭子さんはやっぱ好きだなと思った。